偽金・・貨幣の偽物
今、偽札が、世の中に出回ると、金融機関・利用された場所の調査で、TVで特徴等が公開され、一応排除されますが、昔は、そのような情報ネットがなく、室町時代に入ると、中国の通貨(永楽通宝)の偽物が氾濫していました。そこで、政府は、中国の貨幣を正式通貨として認め、それ以外を、偽物として、撰銭を認めることにしたのです。
特に、情報伝達の遅い地方に、偽金が回っていたようで、なすすべも無い状態だったのです。
一方、悪銭は、信用を落とし、貨幣価値は下がりましたが、そのまま通用していました。
悪銭「びた銭」の種類では、
「かたなし」 形がつぶれているもの
「われ」 割れているもの
「かけ」 欠けているもの
「すり」 すりへったもの
「ころ」 小さいもの
等々
このような状態改善のため、政府は、撰銭令をも置けて基準を設け、通貨を安定させようとしたのです。また、織田信長は、「びた定め」という交換基準を設けました。
その後、徳川家康が、金・銀・銭の三貨制度を制定し安定しました。
日本では、中国から輸入された「貨幣」が江戸時代まで通用していたようです。
詳細は、◎日本銀行金融研究所貨幣博物館◎を参照してください。